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2017/10/01
九月もあっという間に過ぎていき日が落ちるのが早くなりました。
秋のお彼岸中はようこそのお参りでございました。
今年のお彼岸中にはお葬儀にお参りさせていただくご縁もありました。
おじいちゃんやおばあちゃん、お父さん、お母さん、
可愛がってくれた親戚のおじさんやおばさんや、近所の人、大切な人との別れも、
私たちの心に深く刻まれます。
手を合わせて亡き人を偲ぶとき、寂しさや悲しみはすぐには消えることはないけれど
「あの人とこんな所に行った、あの人こんなこと言っていたな」
共に過ごした時間、忘れられない言葉、今も私たちの心を温かい気持ちにさせてくれることもあるでしょう。
そして、その時に芽生える疑問、この世の人生を終えられた方々はいったいどこへ行かれたのかという思いこそ、
生死(しょうじ)という大切な問題を考えるきっかけとなります。
私たちもやがてこの人生を終える時がくる。その時、私たちはいったいどこへいくのでしょうか。
私たちは、この人生を終えると阿弥陀さまの本願によってお浄土に往生すると、親鸞聖人は教えてくれました。
お浄土は遥か彼方の西方にあると、お経には説かれています。
美しい夕日の沈む方角と、先に亡くなられた人々の行かれた方向とを重ね、夕日の沈む西方にお浄土があると説かれたのです。
彼の岸、お浄土が最も身近に感じられるお彼岸は、先にお浄土に往生された大切な方々を偲ぶ時でもあり、
そのお浄土を想う時でもあり、私たち自身がやがてこの世の生を終えた後に行くところとして、
この私の向かう方向をあらためて確かめる時でもあります。
道綽禅師の「安楽集」にこのような言葉があります。
前(さき)に生まれんものは後(のち)を導き、
後に生まれんものは前を訪(とぶら)え
「さきに生れた者は後に生きる人を導き、後の世に生きる人は先人の生きた道をたずねよ」という意味です。
死んだらお終いの世界ではなく、また会える世界のお浄土、今ここにいる私を呼び通し「なむあみだぶつ」とはたらきかけてくださる阿弥陀さまがいらっしゃる。
私たちも手を合わせる時、このことを心にかけてお参りに向かいます。 合掌
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