文字サイズ
2020/05/22
新緑がさわやかなこの季節、境内の草花も活き活きと咲いていますが案外気温が高い日もあり室内にいても熱中症になる方がおられるのでくれぐれも気をつけたいものです。
5月21日は宗祖降誕会
親鸞聖人の御生涯
平安時代も終わりに近い承安(じょうあん)3年(1173)の春、親鸞聖人は京都の日野の里で誕生された。父は藤原氏の流れをくむ日野有範(ひのありのり)、母は吉光女と伝える。親鸞聖人は養和(ようわ)元年(1181)9歳の春、伯父の日野範綱(のりつな)にともなわれて、慈円和尚(じえんかしょう)のもとで出家・得度(とくど)をされ、範宴(はんねん)と名のられた。ついで比叡山にのぼられ、主に横川(よかわ)の首楞厳院(しゅりょうごんいん)で不断念仏を修する堂僧(どうそう)として、20年の間、ひたすら「生死いづべき道」を求めて厳しい学問と修行に励まれた。
しかし建仁(けんにん)元年(1201)親鸞聖人29歳のとき、叡山では悟りに至る道を見出すことができなかったことから、ついに山を下り、京都の六角堂(ろっかくどう)に100日間の参籠(さんろう)をされた。尊敬する聖徳太子に今後の歩むべき道を仰ぐためであった。95日目の暁、親鸞聖人は太子の本地である救世観音(くせかんのん)から夢告(むこく)を得られ、東山の吉水(よしみず)で本願念仏の教えを説かれていた法然聖人(ほうねんしょうにん)の草庵を訪ねられた。やはり100日の間、聖人のもとへ通いつづけ、ついに「法然聖人にだまされて地獄に堕ちても後悔しない」とまで思い定め、本願を信じ念仏する身となられた。
法然聖人の弟子となられてからさらに聞法(もんぼう)と研学に励まれた親鸞聖人は、法然聖人の主著である『選択集(せんじゃくしゅう)』と真影(しんねい)を写すことを許され、綽空(しゃっくう)の名を善信(ぜんしん)と改められた。そのころ法然聖人の開かれた浄土教に対して、旧仏教教団から激しい非難が出され、ついに承元(じょうげん)元年(1207)専修(せんじゅ)念仏が停止(ちょうじ)された。法然聖人や親鸞聖人などの師弟が罪科に処せられ、親鸞聖人は越後(えちご新潟県)に流罪。これを機に愚禿親鸞(ぐとくしんらん)と名のられ非僧非俗(ひそうひぞく)の立場に立たれた。
このころ三善為教(みよしためのり)の娘・恵信尼(えしんに)さまと結婚、男女6人の子女をもうけられ、在俗のままで念仏の生活を営まれた。建保(けんぽう)2年(1214)42歳の時、妻子とともに越後から関東に赴かれ、常陸(ひたち茨城県)の小島(おじま)や稲田(いなだ)の草庵を中心として、自ら信じる本願念仏の喜びを伝え、多くの念仏者を育てられた。元仁(げんにん)元年(1224)ごろ、浄土真宗の教えを体系的に述べられた畢生(ひっせい)の大著『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』を著された。
嘉禎(かてい)元年(1235)、親鸞聖人63歳のころ、関東20年の教化(きょうけ)を終えられて、妻子を伴って京都に帰られた。『教行信証』の完成のためともいわれ、主に五条西洞院(にしのとういん)に住まわれた。京都では晩年まで『教行信証』を添削されるとともに、「和讃」など数多くの書物を著され、関東から訪ねてくる門弟たちに本願のこころを伝えられたり、書簡で他力念仏の質問に答えられた。
弘長(こうちょう)2年11月28日(新暦1263年1月16日)、親鸞聖人は三条富小路(とみのこうじ)にある弟尋有の善法坊(ぜんぽうぼう)で往生の素懐(そかい)を遂げられた。90歳であった。
(本願寺出版社発行「本願寺グラフ」より)
5月14日政府による緊急事態宣言の解除が発表されました。
お休みをしていたお店も徐々に再開され一日も早い復旧を望みます。
しかし、未だワクチンがあるわけでもない現状の中でウイルスと共存しながら生きてゆかねばならない中で今までとは違う新しい生活様式を取り入れながら社会生活を営んでゆかなければなりません。
お寺としても引き続き注意して感染拡大防止に取り組んでゆきます。
みなさまも今日一日気をつけてお過ごし下さい。
様々なイベントが延期や中止になり落ち込んでおられる方も大勢おられます。
お寺は喜びや悲しみを分かち合う場であり続けます。ほとけさまはいつもわたしをみまもり導いておられます。共にこの世の中を生き抜いてまいりましょう。合掌
本堂内に消毒液の設置をしご門徒、ご参拝のみなさまに利用をご案内しています。
手洗い、うがい、咳エチケットの励行をしてまいりましょう。
3月末からTwitterを始めてほぼ毎日つぶやいています。
⇓⇓
https://twitter.com/saihouji_mie?s=09
境内の花々や日々の感じたことをつぶやいております。
Twitterを始めてまだよくわからない事だらけですのでもし始めていらっしゃる方がおられれば是非フォローよろしくお願いします。
Spotifyにて若院のお勤めが紹介・配信されています。
以前から大変お世話になっております松本紹圭氏のSpotifyの番組にて若院のお勤めが紹介、配信されています。今後は住職、坊守のお勤めも配信される予定です。
よろしければお聞き下さい。
4/17 5/1 5/6に紹介されています。
5月14日に住職のお勤めも紹介されました。
5月22日に若院のお勤めが再度紹介される予定です。
⇓⇓
https://open.spotify.com/show/5T7rPmFxWOp5QimkNUg0x4?nd=1
西方寺YouTubeチャンネルにて住職・坊守・若院のおつとめ(読経)を公開しています。
日常のおつとめ(読経)について
私たちは、宗祖・親鸞聖人のお心をいただき、阿弥陀如来のご 恩徳を讃え感謝する思いから、日常のおつとめ(勤行)をいたし ます。
おつとめには、蓮如上人の時代から受け継がれてきた『正信念仏偈』 を唱え、「和讃」六首を繰り読みする日常勤行や、『阿弥陀経』『重誓偈』『讃仏偈』などの仏事勤行があります。
今回、日常のおつとめや満中陰(忌明け)、年忌法要、墓前等に よく読まれるお勤めの動画を作成致しました。
時間や場所を問わずみなさまのお念 仏のご縁、み教えの深まりとなりますように一緒におつとめ致しましょう。合掌
正信念仏偈(行譜)導師 伊藤顕誠
親鸞聖人が『教行信証』行巻に、浄土真宗のみ教えを簡潔に示された讃歌です。
阿弥陀さまのご本願を信じ、『仏説無量寿経』やインド・中国・日本の七人の高僧の導きによって、お念仏のみ教えにめぐり遇えた喜びを深く感謝されています。和讃は、『教行信証』のお心を和語(日本の言葉)で讃えられた歌です。
第八代蓮如上人は、正信偈念仏偈と和讃に念仏を加えて、浄土真宗の勤行(おつとめ)と定められました。
仏説阿弥陀経 導師 伊藤禎顕
釈尊が祇園精舎において、長老の舎利弗尊者に語りかけられたお経です。
西の方、十万億の諸仏の国々を過ぎた所に極楽浄土があり、阿弥陀と名のられる仏さまがおられ、現にいま人々を迷いの海から救い出されていると説かれ、極楽浄土の美しい莊厳(ありさま)や、そこに住む人々の尊い姿を示されています。そして、すべての人が南無阿弥陀仏の名号にこめられたこころを仰ぎ、信じ喜んで、かの仏の浄土に生まれたいと願うように勧められます。また六方世界の諸仏がたも世に越えた尊い教えを心からほめ讃えられています。
重誓偈 導師 伊藤幸代
『仏説無量寿経』の上巻にある讃歌で、「ちかいのうた」は意訳です。
はるかな昔に仏となられた阿弥陀さまは、すべての苦悩の人々を救うため法蔵菩薩として現れ、世に越えた四十八の願い(ご本願)を起こされました。そして、こころ貧しく苦しみ悩む人々を迷いの海から救い出し、南無阿弥陀仏の名号にこめられた心を伝える事ができなければ決して仏にならないと重ねて誓われています。
讃仏偈 導師 伊藤禎顕
『仏説無量寿経』の上巻にある讃歌で、『さんだんのうた』は意訳です。 はるかな昔に仏となられた阿弥陀さまは、すべての苦悩の人びとを救うため法蔵菩薩として現れ、師の世自在王仏のご説法とその光り輝くお姿を讃え、自らも智慧と慈悲にあふれた仏になりたいと願われました。 そして、すべての人びとをさとりの岸へわたすまでは、たとえ苦難の毒のなかに沈もうとも、決して後悔することはない、と誓われています。
主な法事でのおつとめ
中陰・満中陰法要(初七日~忌明け・49日)
故人が亡くなられてから七日が経った日の法要を初七日といいその後七日ごとに二七日、三七日、四七日、五七日、六七日、七七日(忌明け・49日)のおつとめをします。
浄土真宗では亡き人はすでに阿弥陀さまのおはたらきによって、お浄土で仏さまに成っておいでです。しかし、身近な人との死別は、残されたものにとって大変な日々であります。悲しみの中でお心もお身体もお疲れになっているやもしれません。できるだけ、ご自身を休ませてあげることを心にかけご無理なさらぬように過ごしましょう。七日ごとのお念仏のご縁と共に心を落ち着け、亡き方を偲び、亡き方に感謝し、ご自身のいのちについて見つめるご縁として、お勤めします。
(今後、加筆修正を加えてゆきます。)
個人情報のお取り扱いについて
下記内容をお読みいただき、個人情報の取り扱いについて同意していただいた上でお問い合わせください。
1. 当サイトでは、お問い合わせフォームにより収集された個人情報について、承諾が無い限り第三者に開示、提供を一切いたしません。
2. 当サイトにご提供して頂いた個人情報を、ご本人様へのサービスにご利用させていただく場合があります。
3. 当サイトにご提供して頂いた個人情報を取り扱うにあたり管理責任者を置き、適切な管理を行っております。